震災2年目の気仙沼へ
ATA交流会主催の緑の風プロジェクトで気仙沼の大島を訪問。
代表は震災直後からずっと支援し続け、島の住民と親好を深めて
いて、観光客が来ない時期だからこそと、バスをチャーターして
19名参加しました。
夜8時に出発し13時間かけて到着した気仙沼は、がれきは随分片付いて
いましたが、津波で失ったままの風景で、実際に見て被害の大きさを痛感。
気仙沼港からフェリーで20分、沢山のカモメがお出迎え。
島に到着して仮設住宅を訪問。中学校のグランドに建設され、中学生
は小学校のグランドを借りて体育授業や部活をしているようです。
仮設住宅集会場のホワイトボードには、住宅再建に向けての話し合いが
記載されています。少しでも早く仮設住宅から出たい思いが伝わります。
その後中学校を訪問し、開発センターで島の語りべの熊谷スン子さんの
講話と島の方々との茶話会が行われました。
100人以上の方が集まり、震災直後何処に避難したとか、地盤沈下が80cm
もあり、いまだに道路が水に浸かって困っているなど、いろいろなお話を
伺いました。 2年近い歳月が過ぎていることもあり、大変な思いを語れる様に
なっていて、ただ訪問していて何も力になっていない私たちにも感謝の気持ちで
接して下さるのが、申し訳なく有り難く思いました。
感謝の気持ちが持てることって人が前に向かって歩める強い言葉なんだなぁ。と
次の日、波で建物が流され閑散とした大島港を離れながら、堤防を造る工事が
進められているが、どんな立派な堤防を造って逆らっても自然には叶わないし、
堤防を造ることでウニや魚が取れなくなり生活の糧を失う事を嘆く住民の話が
耳に残りました。
本島に戻りバスで移動。
気仙沼の街に乗り上げた船がそのまま残っています。
気仙沼から海岸沿いを南下して見える風景はまるで遺跡群を見ている様。
被害のあまりの広範囲に復興の大変さを痛感しました。
南三陸町の防災対策庁舎
鉄骨の骨組みのたわみが津波の威力を物語っています。
避難のスピーチが波にさらわれて途中で途切れた映像がよぎり
合掌をせずにはいられません。
阪神淡路の震災後の復興とは違って津波の被害がこんなにも大きく復興を拒んでいる
事を目の当たりにして、2年過ぎても震災はまだ終わっていない。
過ぎた歳月で薄れたり忘れてはいけない事を痛感しました。
2013.02.16 | | コメント(0) | トラックバック(0) | 日々のできごと
